日本で唯一の技術で染める手ぬぐい
大阪府の堺市は、古くからさまざまな業種の工場があつまる、ものづくりの街として栄えてきました。
「人口一人当たり製造品出荷額」が政令都市中第1位の街で、古くは鉄砲づくりから始まり、刃物や自転車、線香など幅広い産業の中小企業が存在します。
古くから木綿産業がさかんなこの街は、手ぬぐいの一大生産地としても知られています。
手ぬぐいの下地である和晒(わざらし)の生産には、豊富な水資源が欠かせません。
そのため、石津川沿いであるこの土地が手ぬぐいの産地として栄えてきました。
このあたりは和晒の工場だけでなく、染め工場、織り工場、問屋などがすべて徒歩圏内に建ち並んでいます。
みなさんは、いま手ぬぐいの価値が見直され、少しずつ現代社会にも広まっているのをご存じでしょうか。
もともと手ぬぐいは現代でいうところのタオルやハンカチだけの役割ではなく、風呂敷のように包んで使ったり、日よけの代わりに頭巾としてかぶったり、包帯として使ったりなど、とても幅広いシーンで使われていました。
一般的なタオルにくらべて速乾性にすぐれ、生地が薄くてかさばりづらいため、現代でも日常づかいはもちろんアウトドアシーンなどで使用する人が増えてきています。
今回手ぬぐいづくりを担当してくださった竹野染工さんは、ロール捺染(なっせん)という手法を用い、70年以上も手ぬぐいをつくり続けてきた歴史があります。
古くは布おむつから寝巻き、ガーゼづくりなどから始まり、今日の手ぬぐいづくりにつながります。
竹野染工さんの特筆すべき技術はなんといっても、ロール捺染による手ぬぐいの「両面染め」。いわゆるリバーシブル染色です。
タオルのような厚手の生地であればそれほど難しい技術ではありませんが、手ぬぐいのような薄い生地で両面染めができるのは、世界でも竹野染工さんただ一社だけなのです。
三代目である寺田尚志社長は、衰退していく手ぬぐい業界を危惧し、ロール捺染による技術を広く伝えるため、不可能と思われていた両面染めを実現しました。この両面染めができるかどうかは、機械の差ではなく職人による技術の差というのですから驚きです。
ロール捺染は「凹版印刷」という手法を用いて染める技術で、いわゆる銅版画のように金属板へ図柄を彫り込んで染め上げます。
このロール状の金型でインクを拾い上げ、和晒に染め上げていくことからロール捺染と呼ばれています。
染められる生地は2本のロールにはさまれ、片方は生地の染色、もう片方は染料を押し込むために使用されています。そのため単純に機械を回すだけではなく、圧力の調整が必要となります。強すぎると柄がつぶれ、弱すぎるとカスレが発生するため、人の手による微妙なさじ加減が重要な工程です。
こちらの写真をご覧いただくとその様子がわかるかと思いますが、ロール捺染はかなり細かな模様まで再現をすることができます。多色印刷をする場合はこのロールが2本、3本と増えていくというわけです。工場内にはこのロール状の金型が大量に保管されています。
そしてこちらはロール捺染において非常に重要な工程です。染料をキレイにそぎ落とすための専用の刃があるのですが、こちらは職人が毎日一本ずつ手作業で刃を研磨してつくり上げます。
刃が鋭すぎると柄がキレイに出るものの刃の強度がなくなり、鈍すぎるとその逆もまたしかりという、絶妙なさじ加減が求められる作業です。
この刃を完全に研磨できるようになってようやく一人前で、長い修行期間を要します。若手とベテランでは柄の出方が左右されるとのことで、いかにデリケートな作業であるかというのがうかがえます。
そうして染め上げられた手ぬぐいがこちらです。
表裏で色が違う両面染めはもちろん、きちんと裏通しで染められた柄物の手ぬぐいもあります。
染色技術だけでなくベースとなる和晒にも、特筆すべきポイントがあります。
持ち運びがしやすい薄手の生地という点だけでなく、短辺をあえて縫製せず切りっぱなしにしていることが手ぬぐいの特徴のひとつです。
もともとは包帯代わりにしたり下駄の鼻緒の応急処置につかったりしていた歴史があるそうですが、端を縫わないことで速乾性があがり、衛生的であるというメリットがあります。
お手拭きなどの日常づかいだけでなく、お出かけやアウトドアシーンにも使いやすい和晒のメリットを活かし、今回はハンカチサイズの手ぬぐいもご用意しました。
ぜひ一度、職人のこだわりがつまった手ぬぐいをお試しください。